HISOTRY 1998

庄司さんのレポート

ツール・ド・信州 庄司さんのレポート
 
選手として参加していただいた庄司さん(東京農工大)からレポートを頂きました。ここに掲載させていただきます。
 
京都北部に佐々里峠という小さな登りがあります。そのむかし、時間と体力の許すかぎりこの峠を繰り返し登り、24時間以内に累積標高差1万メートル登ろうと考えたヒトがいました。ふつうのヒトは、そのような突飛なことを思いつかないし、もし思いついたとしても実際の行動に移すヒトはまず、いません。しかし、彼はやり遂げました。43回佐々里峠を登坂し、結果1万メートル一日で登ったのです。彼の名は近藤淳也、京都大学の修士課程に在籍中です。その偉業を雨の中、見届けたのは数人の彼の信奉者のみでした。
 
その彼が、さらに大きなプロジェクトを考えつきました。信州一周山岳レース。最初は仲間内の雑談でしたが、彼はそれを実現するために、全精力をそそぎ込みついに実現に至ったのです。。
 
私は先日、8月1日から7日まで、その「ツール・ド・信州」(愛称「この夏ニッポンでいちばんイッちゃっている集団」;篠塚さん勝手に命名)に出場してきました。
 
このTD信州は1週間のステージレース(厳密には警察に道路使用認可を受けていないのでツーリングと言わなければなりませんが)で、なんと計2万メートルも登ってきました。距離は1日90ー160kmくらいでした。しかしステージ間の移動もあるので、走行距離はさらに長くなります。選手は16名、スタッフは4、5名のこじんまりとした、しかしサイコーのイベントでした。京都大学の学生が主催し、参加を募ったのですが他大学からの参加は私を含めてたったの2名でした。レースというより、京都大学の自転車部の合宿に乱入してきた感じです。しかし、京大は毎年のように日本最大の自転車レース、ツール・ド・北海道に参加しているだけあってさすがに強豪揃いでした。宿泊は連日キャンプ、朝5時起床、炊飯、移動、レース、移動、炊飯、洗濯、キャンプ場での区間・総合成績の表彰式、就寝とメチャ忙しいですが、毎日充実感で満たされています。レース中はさすがに皆、真剣でしたが、いったんレースを離れると笑いが絶えないホンワリとした雰囲気でした。スポンサーはついていませんが、運営はとてもよくまとまっています。百年前の初期ツール・ド・フランスもこのような手作り的大会だったのではないかと思います。
 
大逃げあり、バトルあり、で連日熱い闘いが繰り広げられました。いったんパンクすると総合順位が大きく入れ替わる、かなり大味な展開がたまりません。トラブルも、崖からひとり転落したくらいで大きな事故はありませんでした?!連日いくつもの山越えの後、最後は富士山5合目、麦草峠、乗鞍、渋峠など山頂ゴールになっていて、カテゴリー分されていて、なんとリーダージャージと山岳ジャージもあります。山岳ポイント決定に至るその陰には、「渋峠は超級か、それとも第1カテゴリーに抑えるべきか?etc」と毎晩徹夜して、カテゴリー設定に苦悩する平田さんの姿があったようです。ほかに、区間優勝の賞品として靴下一足があります。
 
初日は西湖一周、10km個人TTです。ここは北海道3回出場2回完走、BR-1でも活躍している東後さんが優勝、最初のマイヨを勝ち取りました。総合優勝はこの東後さんと、今年のTD北海道の京大新エースである近藤さんの2強を軸に争われるものと予想されています。この2人は同級生で、お互いのライバル意識もむき出しです。そしてその後も実際、この2人は熱いバトルを展開していきます。私はこの日、区間4位でした。
 
第2ステージ、私にとって地獄の1日となりました。距離119kmで累積標高差は約3千メートル、最後は吉田口富士五合目にゴールします。区間優勝は独走で近藤さん。2位集団に15分もの差をつけて圧勝しました。マイヨも奪取し、結局この後最終日までそれを他人に渡すことはありませんでした。私は全力を尽くすも51分遅れの区間10位、総合でも10位と地底の底の底まで転落しました。しかしあまりの消耗からか、悔しささえ浮かんできません。私のゴールしたときの姿は、力尽きたあまり死相が浮かんでいたらしく、みんなに爆笑されました。
 
第3ステージは今回最難関区間で、フランスのレタップ・デュ・ツールと比較しても遜色ありません。距離127km、累積標高差は4千メートルを優に超えます。またこの日は、雨のため濡れた路面と細い曲がりくねった悪路が続いたため、各選手にとって受難の1日となりました。標高差千2百メートルの乙女高原からの下りでは半分の選手がパンク、崖から転落する選手もいました。ガードレールに激突し、ビンディングがリリースされ本人は転落、しかしその現場には無人の自転車がガードレールにもたれかかる形でひっそりと残っていたそうです。しかしその篠原さんも、転落後根性で復帰しこの日区間3位を取ります。この日も区間優勝は独走で近藤さん、総合を不動のものとしました。私は区間7位、総合は9位になりました。
 
第4ステージは距離155km、累積標高差2千5百メートル、TD信州の中では比較的易しい区間、と言われていましたがやはり厳しいことに変わりはありません。難易度が低い分、登坂のスピードが上がり、それにつられて展開も激しくなるからです。この日は総合上位につけ、この時点での山岳王である中村さんがリタイヤしました。リタイヤ選手はTD信州初めてのことです。薬物使用の疑惑で、警察に事情聴取されていた訳ではありません。1日前まで山では無敵を誇っており、「こんなに山を登れるなんてシアワセーっ!」と恐ろしいことを言っていましたが、昨晩から感じていた膝の違和感が原因でした。中村さんは今後、インカレ、そしてTD北海道も控えているので大事をとる必要があったのです。この後生き残った各選手も、多かれ少なかれ膝の故障に泣かされていくことになります。
 
山岳王が消えたせいか、一つ目の杖突峠からポイント狙いで各選手がアタックする激しい展開になりました。2つ目の山岳である権兵衛峠はゆるやかな勾配ですが、その分おそろしいほど速いスピードで走り抜けます。サポートカーはあまりの自転車の速さにしばらく自転車を抜かすことができなかったほどです。権兵衛峠では、やはり総合上位につけていた小嶋さんも自転車を降りました。今回、京大からはレース専門の競技部とツーリング専門のサイクリング部という、お互いこれまでほとんど交流のなかった2つのサークルから選手が参加していました。序盤は競技班の選手が大活躍でしたが、積極的に走りすぎたあまり、中盤で美しく散っていく選手も出てきました。そしてこのころから、Tシャツやツーリングスタイルで走るサイクリング部と競技部の総合成績における勢力図が逆転していくこととなります。
 
野麦峠の下りでは近藤、東後、篠塚、庄司の4人が第2集団で走っていました。このとき東後さんがパンク、そして近藤さんも修理を手伝うために自転車を止めました。総合を争う2人ですが、だからこそ勝負を正々堂々とつけよう、という思いが強いのです。総合に関係ない私は罪の意識があったものの逃げてしまい、区間3位、総合5位になりました。この日の区間優勝は、前日崖から転落した篠原さんでした。独走で追走を振り切り、彼は生ける神となりました。
 
第5ステージは距離84kmと短めですが、累積標高差3千メートル、あの乗鞍畳平がゴールです。前日の表彰式で、東後さんに「リーダーだからといって守りの走りをして欲しくない!」と言われていた近藤さんは心中、秘かに期するものがあったようです。さらに途中、よせばいいのに東後さんが近藤さんを挑発するものだから、近藤さんは安房峠の登りで怒りのアタック、そのまま主集団から逃げ切り区間2位でした。その本当に強い近藤さんに15分もの大差をつけ、区間優勝を飾ったのが、京大以外の参加ではたった2人のうちのひとり(もうひとりは私)である、摂南大の桜井さんでした。山岳ポイントも近藤さんに次ぎ2位になり、「今後も山岳賞狙いでアタックを繰り返す!」と高らかに、カッコよく宣言しました。私は区間4位、総合も4位になりました。
 
この日、私とともに長老コンビの一角を占める寺本さん通称テラリン(この場合、京都では「リン」は敬称;篠塚さん談)は、乗鞍への登坂中あまりにもの喉の渇きから道脇に流れる「アルプスのおいしい天然硫黄水」をガブ呑みし、ゴール後気持ち悪くなっていました。乗鞍に出場する選手はテラリンの二の舞にならないように、充分な水分を用意しましょう。
 
第6ステージは前日のステージ間の移動に予想以上に手間取ったのと、選手の疲労蓄積を考慮し車坂峠をカット、距離92km、累積標高差3千メートル弱で行われることが主催者より発表されました。もういい加減、登坂にウンザリしていた私は秘かに大喜びです。序盤はカテゴリー1級の山が2つ続きます。1つ目の武石峠で、レースリーダーの近藤さんにとって現在、唯一生き残った敵となった東後さんがアタック、そして最後の大河原峠まで逃げ切ってしまいます。マイヨは結局、近藤さんが守りきりました。しかし近藤さんに一矢報いることができた東後さんにとって、この結果は満足のいくものでした。私は区間4位、総合は3位になりました。
 
この日、総合や区間成績とは別に、2つの目標を持ってレースにのぞんだ選手がいました。矢澤さんです。彼の2つのテーマとは「かりんジュース限界摂取に挑む!」と「打倒篠塚!」でした。
 
チェックポイントに到着したとき、彼は人間として最低限の節度、礼節、良識を打ち捨てました。魂も、悪魔にすでに売り渡していました。ふだんは好青年の矢澤さんですが、このときばかりは鬼と化していたのです。そして見事、「試飲用無料かりんジュース15杯連続ガブ飲み」の金字塔を打ち立てたのです。
 
残る目標は、打倒篠塚です。この日のスタートの朝、篠塚さんに最大級の侮蔑を受けたと思いこんだ矢澤さんは、心ひそかに仕返しを誓っていました。そしてかりんパワーで爆走、ついに復讐を果たすことができました。
 
近藤対東後がオモテTD信州なら、篠塚対矢澤はウラTD信州、といった様相をみせてきました。なにも熱いバトルは、総合上位陣の間だけで繰り広げられている訳ではないのです。
 
最終第7ステージは95km、累積標高差2千6百メートルです。前日、総合2位の東後さんがこのステージの不出走を表明しました。明後日、大事な全日本実業団選手権を控えているためです。事実、彼はBR-1で完走を果たすことになります。そして彼により、前日の区間優勝で得た賞品「靴下一足」を東後賞として2つ目の山岳ポイントの鳥居峠に設定されることとなりました。これがレースの展開に、ひじょうに大きな影響を与えることになるのです。
 
最終日であり、もう力を温存しておく必要はありません。序盤からアタックの応酬、激しい展開となりました。ここで抜け出たのが新1回生の西村さんです。彼は是が非でも靴下が欲しかったのです。それ以外に欲するモノはありませんでした。鳥居峠は無事1位通過、そのとき集団は9分50秒差をつけられていました。集団には、「西村ならすぐに追いつく!」という油断があったのかもしれません。そしてマイヨを着る近藤さんもいつになく苦しげです。やはり超人にみえる彼にも疲労感があるのでしょうか。そして本格的に追っても差は縮まりません。草津でついに、痺れをきらした近藤さんがペースを上げ、桜井さんも追従していきました。しかし私にはもう、不調の近藤さんにもついていく力が残っていませんでした。その後、桜井さんが再アタック、猛追しましたが西村さんが辛くも30秒差で逃げ切り、伝説のステージとなりました。渋峠で9分以上詰めた桜井さんも素晴らしいのですが、最後まで逃げ続けた西村さんはさらに凄かった。まさに無欲が呼び込んだ大勝利といえるでしょう。しかし区間優勝をしたことで別個に靴下がもらえることになり、鳥居峠の靴下は東後さんに無情にも取り上げられ、鳥居峠3位通過の斎藤さんに転送されてしまいました。桜井さんは区間2勝目を逃しましたが、逆転で山岳王の座を手中におさめることができました。私は最終日区間4位でした。渋峠に到着したとたん、「もう自転車に乗らなくていいんだ!」と思うと、全身が幸福感で満たされました。
 
総合優勝はタイム30時間58分21秒で近藤 淳也さん。完走者は出走16名中11名でした。
 
結局、私は東後さんがリタイヤしたおかげで、1:54:46遅れの総合2位で終わりました。これはもちろん、1分54秒46遅れでなどはなく、なんとトップから1時間54分46秒遅れです!しかし、全部の山でチギれまくり、アタックもせず、なにかの間違いで総合2位になってしまったことには深い罪の意識があります。ちなみに最下位の篠塚さんは8時間45分遅れ、トップより9時間も余計に自転車に乗っているのだから、参加選手中もっとも偉大で、もっともTD信州を堪能できたのも彼かもしれません。
 
最終日には近藤さんがシャンパンをあけ、プアーッ!とやりました。もうそのときには、選手スタッフ全員お互いマブになっていました。ドーピングチェックもなく、EPOをやっている選手もいないのでひじょうに家族的です。ボランティアのスタッフの方も最高で、レース中の補給を始め、スタート地への移動、ゴール地からの移動、炊事、洗濯など多岐に渡り「どうして、ここまでやってくれるんだー!」と毎日感激の嵐でした。
 
とくに紅一点、マドモワゼル森下さんは今回の大ヒットでした。TD信州実行委員会首脳陣が女性スタッフを決めるにあたり、厳正な選考審査の末選んだけあり、彼女はひじょうに優秀でした。今回は国内レースだったためその能力を存分に活かせませんでしたが、フランス語もバリバリな才媛です。しかし、彼女の特筆すべき能力は他にあります。そんな有能な彼女でも、ごくまれにチョンボします。ところが、チョンボやらかしても周囲にバカウケ、その結果みんなを不思議な幸福感に包んでくれました。レースで疲労困憊した体には、一種の清涼剤となりました。まさに、ボケとツッコミを身上とする関西の土壌が、生むべきして生んだスーパーアイドルといえるでしょう。
 
わざわざ東大から駆けつけてくれた竹村さんは、今回は選手としてではなく、スタッフのまとめ役に専念してくれました。しかし、自転車選手としての強さは、実は、あのイヤになるほど強かった近藤・東後2強以上、とも言われています。その強さからか、人々は彼をエイリアンと呼び畏れています。そのため、来年のTD信州の優勝候補最右翼として、すでに名があげられています。
 
シューマッハ並のドライビング技術を持つメカニシャン今井さんも忘れることはできません。すばらしいテクの持ち主ですが、その極限の走りに対応できず、青くなっていた同乗者も若干いました。
 
ほかに、貴重な夏休みを削ってまでわざわざ駆けつけてくれた、岡田元日本代表監督似の谷田貝さん、巨人の松井に似ている、いや、ヤクルトのぶんぶん丸池山にそっくりだという2つの説がある大久保さんにも大感謝です。
 
昨年合宿の際、「こんなレースがあったらいいなー!」と近藤さんが仲間と雑談したのが、TD信州の始まりでした。それ以来、彼はTD信州開催のために、何度も教授に無断で研究室をバッくれては信州に行き、コースの下見を繰り返し、また警察や地元の認可を取ろうとゲリラ的に動いていたそうです。彼は自分のプロジェクト達成のために、ついには鈴鹿山中から母親までサポートとして動員してしまいました。
 
そして近藤さんは、第2ステージからリーダージャージを獲得してしまったので毎日レース後洗い場でそれをゴシゴシ洗濯し、表彰式にはまだ生乾きのリーダージャージを着ていたのがとても印象的です。ツールで例えるなら、インデュラインが自らオーガナイザーのジャン・マリー・ルブラン役を兼ね、さらにレース後マイヨを自らゴシゴシ洗濯している姿を想像してみてください。近藤さんの偉大さが理解できることと思います。いつしか、リーダージャージは彼に対する畏敬の念から「マイヨ・コンドー」と選手間で呼ばれるようになりました。近藤さん本人は、リーダージャージがそう呼ばれることを心底イヤがっていましたが。ちなみに山岳ジャージは、「マイヨ・トーゴ」と呼ばれています。
 
最終日の表彰式の際、ぼくは彼から2枚ある内の1枚の「マイヨ・コンドー」をなぜか贈呈され、不覚にも涙がこぼれそうになりました。それとキャンプで使い残ったコメ約5kgも副賞としていただきました。
 
また、総合優勝者には副賞として後日、太っ腹にもクルマ(クレスタ・テラリン氏所有)が贈呈されるもようです。
 
来年も開催するそうで、もう今から楽しみです。参加資格は高校生、大学生そして大学院生ということなので、パインヒルズが世界に誇る桜井 透くんにはぜひ、栄光の「マイヨ・コンドー」目指して参加してほしいです。