HISOTRY 2002

ファンライド掲載記事 - 綾野真

((株)ランナーズ発行 ファンライド 2002年10月号 掲載記事)

日本でいちばん厳しい山岳ステージレース
ツール・ド・信州の夢物語

実走レポート/綾野 真 写真/近藤淳也

ツール・ド・信州はメジャーレースではない。いや、むしろ知らない人の方が多い手作り大会だ。学生たちを中心とした選手42名と、スタッフの総勢は58人。けれどそこにはレベルの高い戦いと、将来ビッグレースに成長する素地がある。真夏の信州の峠で繰り広げられた熱闘の5日間をお伝えしよう。


他に類を見ない厳しいコース

‘98年より続き、今年で5回目の開催となるツール・ド・信州2002。お盆の連休に、今年も全国から「苦しいこと」が大好きなサイクリストたちが集まった。

「日本にもツールやジロみたいな山岳コースのステージレースが欲しい! 沿道を埋め尽くした観客からの大声援を受け、つづら折れの峠道を、彼方に見える峠を目指して選手たちが上ってゆく。そんな光景を日本でも見たい」そういった理想を掲げて始まった大会だ。 第一回大会から本誌にレポートが掲載されるせいか、徐々に大会の知名度は上がっている。私(綾野)も、以前からこの大会が気になっていた。何が気になっていたかって、とにかく信州の名だたる峠という峠を走り尽くすそのコースの厳しさ。ツール・ド・フランス取材中も、プレスセンターよりこっそりホームページをチェックしては、そのコースレイアウトに驚愕していた。平坦区間の走行距離こそ少ないが「これはツールの山岳ステージに匹敵する」。しかも4日間連日の山岳コースというのは、もしヨーロッパプロが出場してもそれなりに苦しい戦いになるのではないかという印象。それがどんなレースなのか見てみたかったし、できれば選手として走りたいと思ってしまった(私もモノ好きなのである)。フランスよりメールで参加の意志を伝え、帰国してすぐ‘4夜漬け’の練習に取りかかった。昨年度25名だった選手も、今年は42名に増えた。「毎夏、日本でいちばんイッちゃってる人たち」と自らを自嘲的に言う参加選手たち。 シマノの阿部良之、MTBのXC世界戦日本代表選手となった大阪大学の白石真悟、02ツール・ド・スイス完走、ジロ・デ・イタリア21位(女子)の関家朋子らの顔も揃った。少数ながら濃いメンツ!

「翌週に開催される全日本実業団ロードに備え、高野山にこもって練習をしようと思っていたけど、ひとりじゃ追い込むことが難しい。以前から興味があったこの大会、練習にはいいかもと思って」と阿部選手。とはいえ、半数が学連登録選手。もともと中心となっているのは京大自転車競技部関係者。彼らが声を掛けてソノ気になった他大学の選手が個人的に参加し、加えてVerdadやTBC、セレーノA&Tヤマダといったクラブチームが乗りこんできた。

 全5日間の大会。初日は木曽福島での3kmのプロローグで開幕し、その後の4ステージは連日が山岳の応酬である。誌面に掲載したプロフィールマップをぜひ詳細に見て欲しい。一日に千mオーバーの峠を5〜6つ越えるが、そのいずれもがサイクリストには知られた峠道。あの乗鞍岳も美ヶ原も麦草峠も、数ある峠のうちのひとつでしかない。たとえば標高差2500mを上ってから、さらに乗鞍マウンテンサイクリングのコースを上ってゴールするなんてことがどんなことか、想像できるだろうか? 積算標高差は3000〜4000m/1日。4日間の累積合計ではじつに1万5千mにも達する(あ〜書いていて頭がクラクラしてきた)。勾配のキツイ日本の峠は、欧州アルプスよりしんどい走りを強いられることも?。

厳しいからこそ分かることがある

 先頭争いは阿部、白石、そして全日本選手権にも完走している矢澤(京大)の3人の力が突出していた。「脚が痛いなあ」最後にはそう漏らしていた阿部選手の評は
「練習を兼ねていたから一定ペースで走って勝ったけれど、もしこのコースでトップ選手たちがレースをするとしたら、ちょっとぞっとする。でも最高に面白いでしょうね」。

 後方の選手たちの総合順位争いも熾烈で、つねにタイム差を計算しながらの走りがあった。大きく差がつきそうに思えて、それがなかなか難しいことも知った。また補給食の摂り方や毎日の食事。ストレッチやマッサージによる体調維持の方法、4ステージを通して走りきれる機材の重要性やトラブル対策など、実際に走ってみなくては分からないことが身をもって判ってくる。なにより「もう走れない!」そう皆が口走るほどのコースを経験したことが大きい。このレースを走った何人かの学生は、ツール・ド・北海道などの檜舞台に立つ。この先彼らがどんな厳しいレースを走っても、少なくともコースに対する恐怖心は持たずにすむ。たとえレベルの違いでレース展開に絡むことはできなくても。これは大切なことだ。

運営能力はツールに負けず劣らず

 主催するツール・ド・信州実行委員会は、おもに京大関係者によるボランティア組織。OB&OG、友人、家族など、発起人・近藤淳也の熱い想いに共鳴し、この大会に魅せられた人々だ。いわば身内手作り運営とはいえ、ステージ終了後にはステージ順位、総合順位、獲得ポイントによる山岳賞などの記されたコミュニケが発行される。ステージの模様とリザルトは詳細なレポート共にホームページに即アップ。ステージ表彰とリーダージャージの授与が行われ、朝には出走サインも義務づけられている。ツールにもなんら劣らない徹底ぶり。これにはさすがに驚いた。ともかく、いつ大きな大会になっても恥ずかしくないインフラとノウハウを備えているのだ。足りないのは、道路使用許可とスポンサーのみ。その2つが揃えば、いつでも正式なレースとしてスタートできる。道路許可が下りず公道レース開催の難しい日本にあってそれは困難なことだが、近い将来に日本を代表するツールに育って欲しいと心から思う。その日ははたして来るのだろうか?ツールだってジロだって、始まりは同じようなものだったはず。選手とスタッフ52名が味わった興奮や感動は、誰をも魅了するだろう。

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プロローグ@木曽福島

木曽福島から国道361号線を山手へ北上する3.1km。数パーセントの傾斜が続く登り坂は後半、足にこたえそうなコースだ。お盆渋滞遅刻の阿部選手を残して栄光の(?)第一走者を綾野がつとめ、全42選手がスタート。トップタイムを叩き出し、純白のリーダージャージに袖をとおしたのは京大・矢澤。実は彼、日本に数人棲息する「自転車でツール追っかけ君」のひとり。今年の7月も自転車で追走しながら1500kmのツール観戦を敢行。好きが高じて強くなった。アップ不足の阿部は4位に終わり、若者に花を持たせた。

第1ステージ

町から町へと大移動するロードマンの闘いが始まった。地蔵峠、長峰峠、鈴蘭高原から人知れぬ峠・船山を目指す117km。とくに最後の船山は電力会社の設備があるだけの無名の峠だが、ラスト3kmは獣が現れそうな木々茂る簡易鋪装で、ボコボコのコンクリートに数メートルごとに道を這う鉄網がタイヤを襲う悪路が続く。この日は朝から雨。20%に迫ろうかという激坂は、トップの阿部をして「ロー25Tが欲しかった」と言わしめた。当然後位選手は蛇行必至で、なかには歩き出す選手も。大会初日にして「もう走れない」と弱音を吐く選手が続出。恐るべしツール・ド・信州!

第2ステージ

「さくら」の舞台である飛騨高山で、若者らしくユースホステルに泊まった一行は丹生川村をスタートし、平湯から安房峠、上高地乗鞍林道、白骨温泉を経て、サイクリストのメッカ、乗鞍畳平を目指す。乗鞍だけでも充分厳しいのに、それ以前に激しいバトルが強いられるのがツ−ル・ド・信州である。 それでもスタート直後から斉藤(フーバー)や関家朋子らのアタックがかかり、集団はおとなしく走ることを知らないかのようだ。乗鞍への山岳路はガリビエ峠を彷彿とさせる光景が続く。快晴の天気も、やがて雨模様に。
乗鞍での攻防は、メカトラのためフロントのみの2段変速となった白石が、先行する阿部・矢澤を捕らえ、さらにアタックしてそのまま逃げ切るという離れ業をやってのけた。さすがはMTB世界戦代表選手!

第3ステージ

松本市からツール・ド・美ヶ原のコースで武石峠に向かい、美ケ原、ビーナスラインをぬけ車山から芹ケ沢へ一気に下り、麦草峠を登り返してフィニッシュする109km。序盤からいきなり18kmに及ぶ超級の登坂が選手に襲い掛かる苛酷な道のりだ。 
「明日は台風で中止になるかも知れないから、今日は勝ちに行く」という阿部が霧に包まれた美ヶ原でアタック。終始独走を貫いた。しかし白石も麦草峠のフィニッシュまでに3分11秒までその差を詰め、阿部を焦らせた。信州の観光メッカ、美ヶ原の高原道路を走るクルマの観光客も、あえぎながら走る選手たちを見て「なんだか知らないけど自転車レースはすごい」とばかりに車から声援を送り、写真をパチパチ撮り出したのが印象的だった。

第4ステージ

さすがに大会4日目となると選手の疲労もピークに近づきつつある。小海から馬越峠、信州峠、木賊(とくさ)峠を経て山梨県牧丘町まで下り、最後の難関、大弛峠を目指す壮絶なコースにもかかわらず、今日も序盤からアタックがかかる。最後の超級、大弛峠は標高500mから2400mまで、日本における「標高差最大」の1900mを登る。これでもかといわんばかりに延々と30kmにも及ぶ登りがフィニッシュまで続き、しかもラスト近くにはガレ場の未舗装区間1kmが選手を待ち受ける。リタイア者も激走の末、総合タイム差に余裕のある阿部は白石を射程距離内で泳がせ、区間優勝を譲るアームストロングのような走りで総合優勝・山岳賞の2冠に輝いた。

RESULT個人総合成績

1 阿部良之(シマノレーシング)17時間56分55秒
2 白石真悟(大阪大学)+0:07:01
3 矢澤真幸(京都大学自転車競技部)+0:26:26


「いつか夢が叶う日が来る」そう信じて続けたい。

オーガナイザー/近藤淳也
発案者。京大サイクリング部出身。かつて京都北部の佐々里峠を43回のぼり、一日で累積標高1万mを上ったことがあるという逸話の持ち主。選手として出場経験のあるツール・ド・北海道の公式カメラマンもつとめる。地元京都では周山ロードなどのトレーニングレースも開催する。


5年前にキャンプで自炊しながらという強行軍で始まったツール・ド・信州は、今年も少し前進しました。いつか大きなステージレースに成長させたいという夢は持っていますが、それが実現する可能性はほぼゼロに等しいと思っています。道路使用許可が取れないといった状況に変わりはなく、夢にどうたどり着くかという青写真さえ描けない、先の見えない夢物語なのです。
ただレースを開催することが目的ならサーキットレースがいいことはもちろん。それをせずにあえてリスクをおかすのは、この形式でないとできないことがあるから。ホンモノのコースでレベルの高い闘いが見たいということなんです。今のアットホームな雰囲気に魅力を感じる人もいますが、僕としてはもっと強い人がより高度なバトルを繰り広げることを期待しています。阿部選手のように「強化合宿代わりに」でもいいから来て欲しい。
今、心がけていることは2つ。事故を起こして大会が継続できなくなることを避けること。そして「あの大会は面白くない」と思わせないものにすることです。このレースに魅力を感じている卒業生たちが、社会に出て何年か後に企業や警察を動かせるような立場につく。そのときツール・ド・信州を支援してくれたら・・・。その日が来るまで、あきらめずにとにかく続けること、それが大事だと思っています。