HISOTRY 1999

必読!庄司さんのレポート

「今回、近藤(京大BOMB)やオレを脅かすヤツは全くおらんかった。そんな調子では 、京大自転車競技部の将来はないで!」

 
'98ツール・ド・信州終了後、東後篤史(京大うきうき商店街)は一喝。後輩たちの 不甲斐ない走りに対する危惧をこのようにぶちまけた。近藤淳也は昨年度ぶっちぎり の総合優勝者、東後はただひとり、その覇道に抵抗し続けたライダーである。後輩た ちは前半活躍したものの、調子を落としたり、膝の故障により次々とリタイアしてい った。今年、ディフェンディングチャンピオンの近藤は身を引き、オーガナイザーと して運営に携わることになった。東後を脅かすような存在は今回、出現するのだろうか? あれから1年、京大勢は各地のレースで大活躍。すでに今年のツール・ド・北海道の 出場権も獲得している。その北海道のエースとして期待されているのが、2回生の巨 人小嶋洋介(京大自転車競技部)。昨年度、彼は膝の故障により第3ステージの権兵 衛峠に散った。しかし、その潜在能力の高さはすでに、昨年度証明済みである。 その小嶋と仲がいいのか悪いのか、常にじゃれあっている(それとも牽制しあってい る?)のが4回生の中村恒志(京大自転車競技部)。昨年度、やはり小嶋と仲良く第 3ステージにおいて膝の故障によりリタイアしている。TD信州の出場資格が大学・ 大学院生、という規約から中村にとって、これが最後のTD信州出場になる可能性が 高い。このレースにもっとも、熱い思いを込めて走っているのは、彼かもしれない。 小嶋と常にペアルックを決め、アツアツなところを周囲に見せつけている、演技派男 優西村拓郎(京大自転車競技部)も、そのポテンシャルは高く、決してあなどること はできない。アタック時の走りはイタリアの英雄、ミケーレ・バルトリを彷彿とさせ 、美しい。その助平な目の奥底には一体どんな野望が秘められているのか、誰にも読 み取ることはできない。
 
 昨年、篠塚伸一(京大BOMB)と熾烈な争いの末、ベストパフォーマンス賞(勝手に 決定)をみごと獲得したマドモ森下智美(京大サポート)は、院試を控えているのに も関わらず、今回もサポート要員として参加してくれた。立派である。今年も予測不 能なおもしろいことをやりまくって、苛酷なレースにさわやかな涼風を吹かせてほしい。 また今回、戦場報道特派員として、岡崎令子(サポート)+シナモンも多忙な中参戦 してくれることとなった。原稿に追われ連日寝不足の身で、選手のためにおにぎりを つくるなど、献身的なサポートを提供してくれることとなる。
 
さらに、元考古学者、なぜか現翻訳家の神谷緑(元京大サポート)も手伝いに来てく れ、サポート体制は万全。これ以上は期待できないほど、サポートは強力なものとな った。
 
他大学からは私を含め5名の参加。選手15名、サポート10名の総勢25名で総距離572.1 km、累積標高差1万5千4百メートルに立ち向かう。
 
<8月3日:プロローグ>
 
強い向かい風の中、登り3.1kmのコースで個人TTが開催された。区間2位の先輩、中 村に大差をつけ、ぶっちぎりの優勝を果たしたのはインデュライン小嶋。 小嶋は京都から信州の地に至る途中、「オレ、今回のTD信州、勝てますか?優勝でき ますか?」と車中、誰彼かまわず聞きまくり、周囲を辟易させていたという。TD信 州史上、最もノイジーなリーダーの誕生である。表彰式のリーダージャージ贈呈の場 では、あまりの巨体にLのリーダージャージがピチピチ、はちきれそうになってしま った。
 
小嶋は大好物のアイス、ガリガリ君ソーダ味を3本、一気に食べることで、自らの勝 利を祝福した。
 
私は区間3位の好成績を収め、自分自身でも驚いてしまった。しかし、このプロロー グでのささやかなタイム差など、あす1日だけで吹き飛んでしまうに違いない。
 
<8月4日:第1ステージ>
 
 TD信州史上、最難関の設定となった。選手は渋峠、湯の丸地蔵峠、車坂峠を越えな ければならない。私はこのコースを乗り切る自信がなく、本当におびえていた。距離 114.7km、累積標高差は3千8百メートルにものぼる。これはオーガナイザー近藤の、 「山岳カテゴリー超級複数越えの、殺人的ステージをコースに取り入れる!」という 信念に貫かれたものだ。
 
レースは最初のカテゴリー超級、渋峠から速いペースで進む。序盤、意外にも東後が 遅れ、私と共に走ることになる。波瀾の幕開けとなった。
 
地蔵峠の下りでは、自転車競技界には珍しいアイドル系矢澤真幸(京大うきうき商店 街)が道端にうずくまっていた。今年はフランスで調整し続け、万全の状態でこのTD 信州に臨んでいただけに、さぞや無念だったに違いない。結局、彼は第1ステージを リタイアしてしまった。このまま悲劇の貴公子となってしまうのか?
 
最後は急坂が続くことで知られている車坂峠、ここ第1ステージ優勝を果たしたのは クライマーではなく、なんと巨人小嶋だった。
 
これまでも、京都のインデュラインの異名を取っていたが、その呼び名が相応しいこ とをこの日証明した。誰も巨人小嶋をクライマー、と呼ぶものはいないがこれほど登 りに強い選手も存在しない。
 
ゴール後、「僕の自転車、なんか異音するんですよ。山根さん、みて下さい。」と小 嶋はメカニシャン山根光(京大)に点検してもらう。その結果、小嶋の後輪のスポー クが切れていたことが判明した。なんとその振れているホイールのまま、ダウンヒル 区間では時速88km/hで駆け抜け、車坂峠では豪快なダンシングで登り圧勝してしまっ たのだった。
 
区間2位には6分31秒差で小山正高(筑波大)が入り、その実力の片鱗をみせつけた。 この日までサポートとしてすばらしい働きをみせていた竹政哲(京大)は徳川埋蔵金 を探すべく、佐渡島へ旅立っていった。
 
<8月5日:第2ステージ>
 
カテゴリー超級こそないものの、いくつもの小さな峠を越える、全長135.5km、累積 標高差3千2百メートル。厳しいステージは続く。
 
選手中、最も元気なのが栄光のマイヨ・コンドーを着る小嶋である。おしゃべりが止 まらず、常に騒々しい。補給所で、稲井文(京大サポート)、通称イナモンが「小嶋 、なんか欲しいものある?」と優しく尋ねてあげると、「オンナーっ!」と両手を突 き出して答え、イナモン絶句ス、という逸話も伝え聞く。小嶋、君は疲れを知らない マシーンなのか?その放埓な言動から彼を、東京タワー直下の豪邸に生まれ育った、 高貴なる血筋を受け継ぐ御曹司である、ということなどどうして窺い知ることができ ようか。
 
「こんなに喋っていると彼は、そのうち消耗してしまうのでは?」と少しでも思った のは、余計な心配だった。登りで苦しいときに、横でライバルが元気に話し続けてい るのを目にするのは脅威である。ライバルを次々にふるい落とし、ぶどう峠に独走で 飛び込んで来たのはまたしても小嶋であった。これで区間無敵の3連勝、洋介山不敗 神話は続く。小嶋を脅かすものは現れないのか?区間2位にも西村が入り、京大自転 車競技部コンビは、理想的なワンツーを決めた。
 
ゴールから宿舎までの30km、小嶋と西村はまだ走り足らないのか、そこでもアタック 合戦を始めてしまう。疲労困憊した私には、信じられない光景である。
「彼らはホント、自転車バカですね。」
と感心して言うと、東後は冷淡にひとこと。
「自転車バカやあらへん。ただのバカですねん。」
 
 この日、下りでの事故により斎藤純一郎(名古屋大学)が入院することになった。 春から、このレースを楽しみにしていたという。残念でならない。
 
<8月6日:第3ステージ>
 
朝、リーダージャージを着続ける小嶋はTD信州史上、最大級の不祥事を起こす。出 発時間になるのに小嶋はトイレに行ったまま、戻らない。そしてリーダー不在のまま 、定刻7時45分、非情にもTD信州は松原湖をあとにした。
 
新王者小嶋、栄光のジャージ、マイヨ・コンドーを汚物で汚す。
 
10分もしないうちに、後方からノイズが聞こえてきた。
 
「ヒトがクソしているうちに勝手にスタートして、みんなズルいっすよーっ!」
と怒りの大音響でがなり立てながら、リーダージャージは集団に無事、復帰した。 「スタート時間にトイレに行っている、オマエ自身が悪い!」としかし逆に、周囲に 罵声を浴びせられてしまう。大失態の王者。
 
この日遅刻した影響ではないだろうが、小嶋は不調に喘ぐ。天候は比較的涼しく、ほ とんどの選手にとっては走りやすい条件だった。しかし小嶋は、誰もが嫌がる高温多 湿の、不快度指数の高い劣悪な条件になればなるほど力を発揮するタイプである。快 適な天候を苦手とする小嶋。今回のTD信州で初めて、新王者は弱さをさらすこととな る。それでも、私よりははるかに強いが。
 
その窮地を救ったのが、同級生の矢澤だった。小嶋は人と走るのを好まず、並走して いる選手がいれば即、鬼の振い落しにかかる。しかしこの日、新王者は初めて同行を 許可した。途中、新王者小嶋は前を引いてペースをつくる家臣矢澤に、「ごくろう。 」と偉そうなねぎらいの言葉をかけながら、美女と野獣ならぬ、アイドルと野獣の不 思議なランデブーは続いた。
 
矢澤真幸、猛獣使いとしての才能を開花させる。第1ステージでのリタイア後、矢澤 は素晴らしい走りをみせている。昨年よりもはるかに強い。
 
麦草峠、霧ケ峰、美ヶ原を越え、最後は武石峠が聳え立つ。横殴りの豪雨の中、先頭 でゴールに飛び込んできたのは中村だった。ほとんどすべての峠で小嶋と熱いバトル を演じていた中村にとって、嬉しい区間初優勝となった。今回のTD信州、ついに新王 者小嶋の不敗神話にピリオドを打たせたのは、先輩としての意地だったのかもしれな い。中村はこのステージだけで小島に10分近い大差をつけ、総合成績でも8分35秒差 の2位。打倒小嶋に高々と、名乗りをあげた。今年のTD信州はおもしろい展開になっ てきた。
 
この日、中村から3分11秒遅れ、区間2位と猛烈に追い上げた東後はしかし、「きょ う、120%の力で走った。その結果、分かってしまった、今後も僕が区間優勝を取れ ないだろうことを...」と、敗北宣言とも受け取られかねないコメントを残した。 今日もラストは、林剛史(京大自転車競技部)が飾った。ツール・ド・フランスの総 合成績最下位のジャッキー・デュランをみても分かるように、最終走者は人気者であ る。その上TD信州の場合、先頭を出迎えるのはサポートの数名にすぎないが、最終走 者はサポートと選手、全員に祝福されてゴールできる。たいへんお得な役柄である。 そして林のひたむきな走りはイナモンのみならず、観光で訪れたサッチー軍団の心を も動かしてしまった。林、熟女キラーとなる。自転車競技にまったく興味がないオバ ちゃんたちに、「ハヤシくん、ガンバレー!」と声援されて武石峠を駆け上がる姿は 、なんとなく微笑ましい。
 
<8月7日:第4ステージ>
 
比較的易しい、といわれるコース。しかしこの第4ステージ前日、何人かの選手が25 Sや26Sのワイドギアに交換する光景がみられた。
 
これはまだ誰も登ったことのない、船山を想定してのことである。船山、飛騨高山の 15km南にある、標高1480mの何の変哲もない山。山頂には電波塔がひとつ、存在する のみ。カテゴリーは1級。表面上は地味である。
 
しかし、だまされてはいけない。この山、平均勾配10%強が8kmも続く。その上、 ラスト3kmは簡易舗装で路面はひび割れ、その割れ目から雑草が生い茂っている、 という恐ろしい話ももれ聞こえた。
 
サイクリストにはもちろん、一般社会においてもほぼ無名のこの山はしかし、TD信州 の選手間では、そのステータスは極めて高い。「Aが狙っている、いやBも狙っている らしい...」といった噂が自然と耳に入ってくる。常識破りの急勾配と、劣悪な路 面条件を耳にし皆、闘志をギラギラみなぎらせている。そこで勝利することに最大の 魅力を感じる奇特な選手が、ここには数多くいる。
 
事実、この船山の攻防戦は後世に永らく語り告がれるであろう、'99TD信州最大の 見せ場となった。
 
まずレースは、野麦峠を越える。
「ぼくはまだ、山岳ポイントひとつも取れていないんですよ...」
野麦峠を登坂中、京大1回生渡邉哲平(京大自転車競技部)が無念そうに呟く。私た ちはいま、先頭4人を追う5位集団の中にいた。野麦峠はカテゴリー2級、5位まで には山岳ポイントがつく。山岳王には遠く届かないが、ポイントをひとつも獲得して いない選手にとって、「1ポイントでもいい。山岳ポイントを取りたい!」という切 実な思いがある。ましてやそこが、故郷の山であればなおさらである。
 
きょう、一つ目の野麦峠からTD信州は一旦長野を離れ、岐阜県に入る。彼にとりそこ はもう、故郷である。
 
そしてジモッティ渡邉、無人の峠をみごと5位で通過。大喜びである。ついに山岳で 2ポイントを獲得、宿願の凱旋帰国を果たした。残念なことに、そのことを知る岐阜 県民はひとりもいなかったが。
 
渡邉はおとなしそうな容貌をしていながら、先輩の林に対し「頭が弱い!」と罵倒し てしまうなど大物振りを発揮、将来が楽しみな逸材である。
 
選手はいつものように一つ目の峠でバラバラになり各自、鈴蘭峠、位山峠と飛騨の奥 深い峠を越え、一路船山へ。
 
野麦峠から先、ほとんどの行程を私は東後と二人で走る展開となった。私たちは5位 集団ということになる。東後のペースは付いていくのもつらいほど、速い。せめて、 次の峠まで彼に付いて行こう、そして峠に到着できると欲張り、ではもうひとつの峠 まで、と何度もきれそうになる自分を励まし、ついに船山の基部まで同行させてもら った。この区間が私にとって、今回のTD信州でベストの走りだった。東後のパートナ ーとしてあまり先頭を引くことはできず、申し訳ない思いをして走っていたが、それ が今の私には精一杯なことだった。
 
船山は突然、壁のような坂から始まる。
 
ラスト3km、簡易舗装への入口には稲井が補給係として立っていた。無邪気な笑顔で 、「あと3kmですよー。これからが激坂ですよ。」と選手たちに水分、補給食とす てきなアドバイスを送る。この声援はだが、選手たちを奈落の底に突き落とした。そ こに至るまでにもう十分過ぎるほど、激坂を登ってきたというのに、それ以上の激坂 って一体?!そんなのあり?もう、許してください、という心境である。
 
ここに先頭で入ってきたのは二人、小嶋と小山である。簡易舗装に入った直後、先に 攻撃を仕掛けたのは意外にもマイヨ・コンドーを着る小嶋。15%ほどもあるだろうか 、この激坂は巨人小嶋には全く不向きである。その不利を承知でレースリーダーの誇 りから、果敢にもアタックに出る。魔神のような形相で巨体をゆがませ、自分の乗る バイクを破壊し尽くしてしまいそうな迫力で、強引に登っていく。まるでその姿は、 断末魔の響きをあげもだえ苦しむ、世にも奇怪な珍獣、コジラ。
 
しばらくして、正義のナチュラルクライマー、小山がカウンターアタック、コジラ退 治に踊り出る。
 
小山は連日、前半は苦しそうに最下位近くを走り、ゴール直前になるといつのまにか 元気になって、上位に姿を見せている。前半と後半での走りはあまりに違い、とても 同一人物とは思えない。皆、首を傾げた。その結果、真偽の程は定かではないが、小 山別人説が流布するようになっていた。前半は小山1号、3つ目の峠から2号に入れ 替わり、最後の峠ではさらに小山3号が爆走しているのでは、という仮説である。そ うでもしないと説明が不可能なほど、ラストの登坂力は超絶していた。
 
小山3号はみごと、区間初優勝を果たした。しかし、コジラも1分46秒後に区間2位で ゴール、被害を最小限に止めることに成功した。タイムトライアルで圧勝し、登りで もクライマーたちに引けをとらない。しゃべりがなければあの、バスクの太陽王のよう。 この船山、白熱した総合成績争いのバトルの他にも、様々な逸話を残してくれた。区 間3位で船山に入った増井秀美(大阪工業大学)は途中、間違ってわき道に入ってし まう。無人の船山山中を30分近くも彷徨し続けた。区間7位に順位を落としゴールに 入ってきた後、精魂尽き果てトリップ、崩れ落ちた。増井にとって船山は、魔の山と なった。
 
区間5位、39*23Sしか用意していなかった東後は自転車に乗り続けることをあきら め、残り3kmでランニングシューズに履き替えた。自転車を押して一生懸命走る姿 は完全にシクロクロス。しかし、昨年全日本実業団BR-1でも完走している東後が自転 車を押して走る姿はどことなくお茶目で、楽しそうにみえた。
 
もっとも個性的な船山攻略法は、またしてもさいごにゴールしてきた林によってなさ れた。
 
「勾配があまりにキツいから、はじめはジグザグに行こうと思いました。ところがそ うすると、ゴールまでの距離が長くなってしまうことに気付きました。どっちの登り 方がいいのか、途中ずっと悩みながら走っていました。結局、どうすればいいのでし ょうか?」
 
彼は真剣な表情で周囲に尋ねていた。それを聞いた瞬間、私の脳裏に今まで思い描か れていた知性溢れる京大生像が、ガラガラと音をたてて崩れていった。
 
私はこの日のために、トリプルギアを用意した。30*23Sという超ワイドギアで登っ たが、もしも27Sが装着されていたのならば、それさえも使用していたのに違いない。 ゴール後、マイヨ・コンドーを守りきったものの、猛り狂う怪獣コジラのコメントは 次のとおり。
 
「オレは将来絶対、建設大臣になってやる。そして、京都に船山を築き上げ、そこに このくらいヒドく荒れた簡易舗装の道をひき、竹村さんに登らせてやる。そうでもし ないと、オレたち選手の気持ちはおさまらないっすよーっ!」
 
竹村信泰(東京大学/サポート)は今回、この船山をコースに取り入れるよう提案し た張本人。選手の恨みを一身に集めた竹村はその晩体育館裏に呼び出され、しめにあ ってしまうのでは、という怪情報も乱れ飛んでいた。
 
私は船山が大好きだ。選手たちも船山を毛嫌いしているようにみせてはいるがそれは 一種のポーズ、実はかなり惚れてしまった、とみた。
 
「TD信州の最終ステージ、船山でもよかったですね。」と私は竹村に話した。すると、 「しかし、船山には華がないです。」と船山立案者なのに素っ気ない返答。 船山にはたしかに、なにもない。
 
しかし素朴でなにもない風景だからこそ、TD信州には似合っているように思える。 山頂はのどかで、気持ちを和ませる。シナモンも船山をお気に召したようだった。ツ ール・ド・フランスがラルプ・デュエズに代表されるように、TD信州には荒れ果てた 激坂、船山こそがふさわしい。
 
この日、すべての選手が寝静まった深夜、宿舎では怪しげなうめき声がこだましていた。 「なんだ、まだ登りがあるのかよ。一体、いつまで登ればいいんだー!」 林は今なお、夢の中で船山に登り続けているようだった。
 
船山は、'99TD信州の象徴となった。
 
<8月8日:第5ステージ>
 
 東京から壇上伸郎が、京都から田中慎司がサポートとしてかけつけ、最終ステージ は華やかなものになった。
 
レースは序盤から、中村が凄まじいスピードで引きまくる。たまらず、次々と脱落し ていく選手たち。だが、中村が本当に振るい落としたかったのは、小嶋ひとりだった 。そんな思いをよそに、小嶋は今日も余裕を持って中村をマークする。
 
敵の敵は味方。その古典的戦術により、総合2位の中村と3位の小山の間には秘密同盟 が成立していた。中村と小嶋はチームメートでありながら、中村は筑波大の小山と同 盟を結び、逆転への最後のチャンスに賭けようとしていた。
 
この最終日まで、私は調子がよかったのにも関わらず、まったく先頭集団で走ること ができていなかった。力のなさ、に尽きる。先頭はどのような感じなのか、一度だけ でも自分自身で体験してみたかった。中村にへばりつき、小嶋のアタックにも反応し てみた。しかし、それができたのも、東後がアタックをかけた平湯峠の入口までだっ た。マリックパワーをもってしても、これが限界。トップ争いのレベルの高さを実感 。奇妙な満足感に満たされながら、その後私は猛烈な勢いで墜落していく。異星人藤 田雅弘(豊橋創造大学)、小山、増井と次々に私をパスし、視界から消えていった。 乗鞍への登坂中、「もう、こんなしんどいことは続けられない...」と戦意喪失。 そんなときに追いついてきてくれたのが、篠塚だった。昨年、野麦峠からの長距離を ランデブーした、思い出深い仲間だ。
 
そのとき、私はとても驚いてしまった。それは、前日リタイアした不調の篠塚に追い つかれたからではない。そんな疲労困憊した姿で自転車に乗っている選手を、私は未 だかつてみたことがなかったためだ。表情は苦悶に歪み、息は絶え絶え、ヘルメット は斜めに傾き、ペダリングは空中分解寸前。意識朦朧としながらも、魂だけで走って いた。言葉は交わさないが、彼の自転車に乗る姿は、私になにかを雄弁に語りかけて くれる。気力を失いかけていた、自分を恥じた。私は再び、登る勇気が沸いてきた。 再び気力を取り戻したとき、西村がすばらしい速さで私を追い抜き、頂上へ向けて駆 け上がっていった。最終ステージといえば、昨年、前日までの死んだフリ大作戦でフ ィナーレを飾った西村の大活躍が思い起こされる。昨年、巧みな演技に全員がコロッ と騙されてしまった。今回のレース、彼は前半、強さを見せ付けたものの、最近おと なしい。酸欠状態が継続したため思考能力の低下が進み、出走サインに自分の名前も 漢字で書けなくなってしまったもよう。だが、これらは徹底した演技の一部のはず。 本人は否定するも、警戒する多くの選手の意見は、「西村は足をタメている。」に一 致していた。ところがここ数日、西村は本気で不調に喘いでいた。彼はこの、最後の パフォーマンスに賭けていたのかもしれない。
 
この乗鞍ステージ、またもや小嶋が区間優勝。自らの総合優勝を完全なものとした。 昨年度、同行程で行われたステージでの優勝者、山岳王桜井吾郎(摂南大学)のタイ ムは4時間15分だった。当時としては驚異的なタイムだった。しかし今年、小嶋の優 勝タイムは実に、それより13分40秒も速い。昨年は宿舎を取らず、連日キャンプ生活 だったので単純に比較はできないが、今年のTD信州、レーススピードが格段に上がった。 そんな中、高橋博樹(京大BOMB)と斎藤真規(京大うきうき商店街)は毎日、伝統的 な野宿生活を続けていた。夜、私は宿舎から外に出るとき、暗闇の中地面に横たわる 物体が人間だとは気づかず、申し訳ないことに蹴飛ばしてしまったことがある。そん な不利な条件下、峠では宿舎組と互角に渡り合っていた。彼らには心底、恐れ入る。 チェックポイントで座り込み、くだらない話に花を咲かせる光景も消えた。牧歌的な 部分が削られ、より競技性が高くなった。
 
最終ゴールの林は小嶋から総合8時間18分遅れ、最終成績14位。ゴール後彼は、「オ レは今回、ものすごくやつれた。」と自信を持って言いきっていた。夢の中でも峠を 登っているらしい彼のこと、一日15時間くらいはサドルに跨っていたのに違いない。 東後に騙され、なにがなんだか分からないうちに信州くんだりまで連れてこられて苦 しみぬいた一週間、しかし完走は立派であった。今年のベストパフォーマンス賞は、 彼に勝手に決定。マドモ森下の正統な後継者には、彼こそがふさわしい。
 
今回、圧倒的な力で総合優勝を決めた小嶋。初日から最終日まで、結局一度もマイヨ ・コンドーを手放すことはなかった。山岳王も同時に獲得。山岳ジャージは、王者の 貫禄で個人総合2位の小山に譲渡した。完全無欠のチャンピオンの誕生である。だが 、そんな彼にも悩みがある。
 
「おめでとう!今日もぶっちぎりだったね。小嶋ファンにはたまらないよ。」と褒め 称えると、
「僕にはファンなんて、ひとりもいません。小嶋ファンは、小嶋ひとりきりなんです ...」とふだんの凶暴な面は消え失せ、巨体を折り曲げ、さびしそうにつぶやく。 最強の王者は、孤高の王者でもあった。 だれか勇気を出し、コジラファンとして名乗り出て来てほしい。
 
総合成績は2位小山、3位中村、4位東後、5位増井、6位庄司の順。
 
昨年は苛酷さのあまり最終日のレース終了後、選手たちはキャンプ場でほぼ全員、果 てていた。マドモ森下は空中を浮遊していた。それはまるで戦国合戦の後のようで、 壮絶な光景だった。TD信州後私自身も1週間以上、まったくモチベーションが沸かな い廃人状態が続いた。
 
しかし今回、乗鞍の後もごくふつうのレースが終了したかのように、表彰式は行われ た。レースのスピードは格段に上がったのに、みなにこやかで余力がありそうにみえ る。この差はいったい、なぜだろうか?キャンプから宿舎になった、というのも大き い。しかしその理由はむしろ、サポート体制の充実、に尽きる。ツール・ド・北海道 に3回出場している東後は絶賛する。「今回のサポートは、ツール・ド・北海道でも 体験できなかったくらい、すばらしいものだった。」と。
 
TD信州に私は2年連続で参加させてもらった。しかしその影には、TD信州の発案者で ありながら、ついにレースを走ることができなかった、竹村の存在があることを忘れ ることはできない。彼は自分自身が走りたかった気持ちを抑えて、献身的なサポート に徹してくれた。そのようなレースを支える人々が数多くいて、はじめて選手たちは 走り出すことができた。いったいどのような形で、彼らに感謝の気持ちを表現したら いいのだろう。もしこのすばらしいイベント、TD信州が来年も開催されるのならば、 私もできるかぎりのサポートをし、せめてもの恩返しをしたいと思う。
 
TD信州には一言で語り尽くせない、さまざまな魅力がある。TD信州を思うとき、私は 少し感傷的になってしまう。何とも言いようのない、はかないものを感じる。それは スタッフ、選手に限らず、多くの参加者が学生から社会人への過渡期に経験するイベ ントだからかもしれない。TD信州は営利目的で始められたものでは、決してない。近 藤淳也オーガナイザーを始めとする、多くの人のロードレースに対する理想が凝縮さ れてできたものである。近藤と竹村の、ささいな雑談からTD信州は始まった。それを 風化させることなく、現実のものとしたのは奇跡的である。近藤とその仲間の情熱は 、半端なものではなかった。効率や採算が重要視される、企業社会では実現不可能な イベントだった。将来社会に入ればこのような純粋な理想を、現実のものとする機会 はおそらく失ってしまう。
 
時が経つほどに価値観は変わり、ほとんどの人にとってTD信州は単なる思い出となっ ていく。だからこそ今経験しているTD信州が他の何にも換えがたい、貴重なものとし て感じてしまうのかもしれない。TD信州は決して大きなイベントではないが、参加し た各人にとって失うことのできない、大事ななにかが含まれている。少なくとも私に とってTD信州は、遅れてきた学生生活の象徴となることだろう。
 
近藤の熱い思いは、届いただろうか。