HISOTRY 2001

選手レポート - 山岸孝輝

ツールド信州にて、おもったこと
東京大学大学運動会自転車部競技班 山岸 孝輝

輪行

ツーリング班(東大では旅行班という)出身(かつヤマダショウヘイさんの後輩)だったりするのでごくごく自然に駅前で自転車をばらしてそして満足そうにかついで、ガタンゴトン。乗り換えの時に神谷さんと武田さんに話しかけられ、同行させてもらった。お二人ともいい人でいい感じにちょっとマニア入っていて初っぱなから楽しかった。ありがとうございます。それにしても飯田線は長い。

しらびそ峠

この峠がすべて、っていうか、絶対忘れられない峠。スタートしていきなりの超級の上り。こんな上りをいきなり設定するなんて…近藤さんはひどい、よくこんなとこ見つけてきたよな、信じられない…(最後の方はふざけんな近藤!になっていたような。)

確か藤田さんが「自分1人ではもう二度と行かないと思います」と言ってたけど、全くの同感。まだ100キロ以上あるのにアタック合戦を展開する他の選手たちには正直驚いた。しかし、これは始まりにすぎなかったことは連日のステージで思い知らされることになる。

レースリーダー

今年も小嶋洋介。ご存じの通り、圧勝して3連覇。自分の予想では山根君を中心とした実業団選手が彼を苦しめるはずだった。ところが…。誰もがやられてしまった。彼のすごいのは脚力だけ、ではなく、彼が持つエネルギーではないだろうか。この5日間、どんな場面でも彼が目立っていた。勝者特有の興奮状態にあったのかもしれないけど…。仮にそうだとしてもなかなかまねできる物ではないだろう。それにしてもちょっと調子に乗りすぎ、っていうか我々選手が乗せすぎ。来年はなんとかしないと。

細川

2日目の夜、浅間温泉ユースにてたまたま話した京大の1年生。高校の後輩であることが分かった。東京都、國學院大學久我山高校。その時点では自分は総合10位で、細川に大差を付けていた。「明日からは細川マークっすよ~」なんてかましていたが、その後の自分はずるずる順位を落とし、マークどころかどんどん差を詰められてしまった。かろうじて総合では細川を抑えたが、危なかった。来年出ることがあったら細川完全制覇してパンツはかせてやる。

メカトラ

スポークを飛ばし、シートピンを折る…。サポートの皆様、ご迷惑おかけしました…。そのかし、パンクとは無縁でした。なんで? メカトラが起きた時点は総合成績で上を目指せる位置から大きく遅れていたので、はっきし言って焦りはありませんでした。むしろ楽しんでいてたくらいです(スイマセン…)。メカトラ、結局は自分のミスです。次があるならちゃんと対策してきます。

一年生

わかい!…って当たり前か。第3ステージで何人かの1年生と一緒に走る機会があり、色々話しつつのんびり進んだ。若かったなあ…。いや、それだけじゃないんだけど。

自分の体力、レース内容

第2ステージですべて使い尽くした。あの日は、第1ステージでそこそこの走りができたので(トップから30分も離されたけど)、ちょっと欲が出てきて、一桁順位をとってやろうと考えながらスタートラインに並んだ。その日最初の地蔵峠でのアタック合戦で先頭集団に加わることはできなかったが、その後は渡邊哲平君と一緒の集団で、彼にほとんど引いてもらって先行する集団との差を詰めることができた。しかし、それまでで自分の足は終わっていた(彼にほとんど引いてもらっている時点で終わっているのだが)。チェックポイントから、それまで一緒だった徳島大の渡辺貴博君が白樺峠に向かって飛び出した。自分は補食を捨てて反応した。彼は疲れを感じさせないペースで上っていく。先行する選手との差をじわじわと詰めていき、埼玉大の町田君をとらえた。そこまでは自分は付いていったが、町田君をかわした後にちぎれてしまい、そこで完全に終わった。その後は後続に次々となすすべなく抜かれていくのみだった。その後のステージも回復できず、日を追うごとに身体は重くなっていくのみだった。

近藤さん

名前は知っていた(ぎょーかいではお二人とも露出度高いですし…)のですが、ちゃんとお話するのはこれが最初。そのバイタリティーに脱帽した、というのが正直な感想。尊敬します。これからもよろしくお願いします。

京大自転車部

東大とはほとんど親交が無かった。っていうか、関西の大学と関東の大学が学連のレースで会話しているのをほとんど見たことがないような…。せっかくだから知り合いになりたかった。よくレース前日に修善寺YHとかで一緒になったのだが、会話はなかった。その時の東大の話題:「なんで京大は女マネ多いんだよ」「あのひと何であんなに黒いんだ」「地黒かなあ」「日焼けだろ。やっぱ練習してんだろ、それだけ」「じゃあ、レーパン焼けの線とかあんのかなあ」「だれか風呂ん時そっと見とけよ」etc.....。今考えると、とんでもない会話をしていたものである。

唐木

以前から合宿等で筑波とは親交があった。ありがたいことに。だからシャイで人見知りのする僕は「筑波の人たちがいるなら1人で参加しても大丈夫」と思っていました。うそです。スタートと同時の唐木のアタックは定番で、それに自ら反応する小嶋、という図式は最後まで崩れなかった。ふたりともすごいと思う。なかなかできる物ではない。ていうか、普通やらんぞ。インカレでもやってくれ。

板東

第4ステージで、自転車を貸してもらった。インターマックス・サンペレグリーノ。最後尾からの再スタートになったが、貸してくれた以上、なんとしても完走したかった。板東がリタイアした分まで。

ネットの力

レース中、東大の後輩たちがツールド信州のhomepageで自分の結果をチェックしていて、自分が知らないところで盛り上がっていた。果てには「ビデオに映れ!」なる書き込みまでいただいた。そしてそれをありがたく(?)壇上さんが報告してくださる。「明日はビデオに映ってくださいね~」。書き込みがあった4日目には体力的にかなりやばい段階だったが、そんなことは言ってられるか!最終ステージ、唐木と共に飛び出した。ネットの影響力を意外な形で再認識させられる出来事だった。

スタッフの方々

ありがたいのひとことに尽きます。選手より早く起きて選手より遅くまで起きて働いている姿には感動しました。ツールド信州掲示板の昔の書き込みを見ました。かなり前から入念な下準備をたくさんの方々がなさられているのには脱帽しました。

リタイアしたときのこと

最終日。もう身体は情けないことにぼろぼろに近く、不安な気持ちと共に起床。スタートラインにつく。「これで終わりなんだから、何とかしろ。意地でも完走して東京に帰る!」しかし身体は最初から微妙にだるく、特に両足の筋肉のだるさはひどかった。上りはシッティングでなんとかゆっくり上れるのだが、下りで少しでも足が冷えるとだるさを越えてひどい痛みが両足を襲った。スタート直後のメカトラで遅れるも、何とか寺島さんに上りで追いつく。しかし、下りで身体が痛み出してどうしても遅れてしまう。
寺島さんは自分に合わせてゆっくり下ってくれ、チェックポイントまでは一緒に走ることが出来た。だが、大弛峠までの下りでは何度も止らざるを得ず、寺島さんから遅れてしまった。最後尾を走る自分をサポートしてくださった人たちには感謝しきれない。何度励まされたことか。大弛峠に入り、「これで最後だ」と走るが、牧場から数百メートル地点で、降りた。

東京帰ってきて

下手に間おかないで、即日から社会復帰。あの非日常が信じられないままに学校へ。なんだか不思議な感覚を感じながら過ごす日々が続いた。でも、そんなもんなんでしょう。

最後に

とりとめのない文章を読んでくださってありがとうございます。でも、頭の中に浮かんでいることなんてこんなもんじゃないでしょうか?来年、また信州の地で顔を合わせることがありましたら、よろしくお願いします。また、楽しい時を過ごしましょう。

いわゆる参戦記は東大自転車部のホームページ(自分が新しい管理人になりました)にて後日掲載します。掲載した際はツールド信州のBBSにURLをのせますのでぜひぜひお越しください。

東大自転車部home page:
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/6297/index.htm