HISOTRY 2001

選手レポート - 小嶋洋介

信州での戦いの日々

はじめに

自分にとってツールド信州は夏の一大イベントである。しかも第2回、第3回大会は優勝している。今年もかなり気合を入れて大会に臨んだ。以下の文章はコヂマの独断と偏見による信州のレポートである。

プロローグ

信州でまず辛かったのは車酔いである。繊細でかよわい俺は車に弱い(文明に適応していないと言う説もあるが)。しかしスタートまでたっぷり時間があったのでアイスを喰らい、心を落ち着かせ無事スタートすることができた。この日の宿は体育館があり、後輩の松井とバトミントンで死闘を繰り広げたため腕が筋肉痛になった(脚は何とか守った)。日ごろ後輩を大切にしないとこういうところで敵になるのだ。この夜、同タイムで一位の山根さんの部屋へ牽制しに行きシモネタ攻撃を仕掛けた所、「強い奴がいるって聞いて来たのにがっかりしたよ。」と言われた。攻撃は失敗に終わった。しかし、「こうなったら走りで見せるしかない。」自分の心にめらめらと火が付いた。ひそかに山根さんと同室の筑波大学の奴に夜大きないびきをかくように頼み部屋を後にした。こうして信州の戦いは静かに幕をあけた。

第1ステージ

前日、藤田さんにマッサージをしてもらいながら(脚だけでなく、なぜか腕も)、最初はゆっくり行こうと言われていたが、宿敵松井や矢沢のアタックに反応しているうちに我慢できなくなりとりあえずスピードをあげ、戦闘は始まった。しらびそ峠は前日の汚名をはらす最高の舞台だった。レース前、中盤の激坂を耐え、後半緩くなったところで、イッキに畳み掛ける作戦を立てていた。勝負は永遠と心拍が180を超える激しい戦いの中、中盤の激坂で山根さんが少し下がったところで決まった。この後の結構踏みながら走る下りと平地がチームロード要員として京大に雇われた自分に味方し勝利をえた。この日はレースを終え、宿まで自走で帰ることになった。近藤氏いわく「少し登るけど・・・」傾斜はゆるいがとっても登っていた。近藤氏の脳みそはすでに信州仕様になっていたのだった。激闘のダメージで傷ついた肛門にオロナイン軟膏を塗り、その指でヘコイ走りをした後輩のUN古賀を追いまわし喝を入れながら翌
日の戦いに備えるコヂマであった。

第2ステージ

このステージは最初の二つの峠が緩く、行くなら野麦からで、勝負は乗鞍と踏んでいた。レースはアップもしていないのに朝一から唐木と松井が早い。一つ目の峠、松井はかなり粘っていた。とてもスプリンターとは思えない。二つ目に入ると宿敵矢沢がいやがらせのようなタイミングでアタックを掛けてくる。やはり俺は敵が多い。(ちなみに矢沢は最終日に餌をくれたのでいい奴である。)結局、野麦峠から独走になったが、乗鞍につくころにはへろへろでペースを上げるどころではなかった。第2回大会で乗鞍を登った時に比べコースがかなりシビアになっている気がする。この日、宿までの車中で山根さんがシモネタトークに花を咲かせていたことは永遠の秘密である。あと前日喝を入れたおかげでUN古賀が筑波のライバル渡辺を倒したことを報告しておく。

第3ステージ

「アーもう脚ない」山根さんのこんなせりふで目がさめた。山根さんは違う部屋なのになぜ?信州では戦士に休息の時などない。早朝からすでに戦いは始まっていたのだった。この日も朝から唐木のアタックが冴える。何とか追うも、もう筋肉が限界ですぐには追いつけない。何とか追いついた後独走していたが、どうも思考がネガティブである。作戦は初めから一人逃げだったが、後ろとの差が気になって仕方がない。

後ろから見られないようにと考えながら走っていた。美ヶ原で山根さんが信号で止まったと聞き、その男っぷりに感激すると同時にこの日も負まいと心に誓った。ここで山根さんが勝てば彼は真のヒーロー。そして俺はただの悪役である。どうせならヒーローを打ち砕く悪の帝王をめざしたいものだ。そして運命の麦草峠は訪れた。この峠は一昨年うんこをしていて出遅れたといういわくつきの峠である。山根さんのアタックに全くついて行けない。色々ネガティブな考えが頭をよぎる中、心拍計を見ながらひたすら耐えた。結果は何とか逆転し勝利を収めたがここまで心理的、肉体的に追い詰められたのは珍しい。この夜稲井さんに山盛りにされた三杯目のご飯を泣きながら詰め込んだあと、腹いせにノーパンが大好きな後輩の細川のズボンを剥ぎ取り、戦いに明け暮れたこの日も平和に終わった。

第4ステージ

当然ながら朝から唐木が早い、というかパレードの先導車からしてとても早い。いつもどおり唐木がたれたあと、矢沢が飛び出す。集団はお見合い。そこへ京大のかわいい後輩コンビUN古賀とノーパン細川が小嶋さんのために前を追うっスと言わんばかりにと飛び出してきた。ところが後ろについた瞬間スピードダウン。騙された。もう少し後輩に優しくしておくべきだったと感じた瞬間だった。ちなみにこのステージは峠も多く、激坂、悪路、しかも最後が1900UPということで、集団で走る意義が少ないし、最後に備え温存した走りをする人が多いと考え、あえて初めから全力で行くと決めていた。最初の峠で11%の坂を利用し、その後独走、結局最後の上り口までに10分程度の差ができ、余裕を持った走りができた。(ダート区間はかなりきつかったが。)こうして厳しい戦いを終えたコヂマはすっかり野獣と化していた。この日コヂマに食料を奪われたものは数え切れない。皆さんありがとうございます。餌の恩は一
生忘れません。たぶん。

終わりに

自分は第一回大会からツールド信州に参加していますが、年をおうごとに充実するサポートには驚かされます。自分が寝ようとしている時まだ仕事をしているサポートの方々を見ながら“自分には絶対できない”といつも思います。おかげで毎日走ることだけに集中でき、苦しくも楽しい5日間を送ることができました。皆さんへの感謝とともにレポートを締めくくりたいと思います。(小嶋洋介)