HISOTRY 2002

選手レポート - 矢澤真幸

<プロローグ>

出発前夜にバーテープを貼ったりと遅くまで自転車の整備をしてしまい顔がむくんだ状態で信州へ出発。コースに到着してもだるかったので、助手席のシートを倒して目を閉じて休んでいたけど、みんな準備をしているので起きてやもーんと試走にでた。コースは結構登っているという印象で、おととしのプロローグに似ているなぁ。二本目の試走は本気モード。最初から全力でいった。小さい頃、父親に「1500m走は最初から飛ばしていきあとは我慢だ!」と教えられた通りに最初からフルパワーでかっ飛ばした。最後までもたなかった・・・・最近、タイムトライアルの成績がいまいち。信州の三日前のレースの1kmTTでは1分19秒(!)という初めて競輪場で走った時よりも遅いタイムをだして周りにビビられた。4kmTTも今年は遅い・・・原因は一つ。最初の入りが速過ぎる。自分がスロースターターなのを調子こいて忘れていた。根性論軍隊式父の教訓との決別を胸に三本目の試走で前半のペースを決めてスタートを待った。そんなこんなしていると遅れていた大阪組が到着。気になる阿部さんをさりげなく近寄って見に行く。シマノカーボンホイールがついていた。「本気だ・・・本気」常に阿部さんの動向をみながら(ファンなので)、スタート。予定通り最初の1kmをゆっくり走る。「こんなんでいいのかなぁ」と思いながら回転数と心拍計だけをみて走る。そうすると試走の時と異なり最後にかけて向い風気味に変わっていた。「これはラッキー」と他の人が後半たれるのを信じ、もがきまくってゴール。令子さんに暫定トップと教えてもらい、クールダウンのためすぐにUターン。そうすると後発の気になる平井、白石が後半をダンシングで走っていた。「これなら後半落ちるなぁ」と安心していたら、ラストの阿部さんが来た!「おーかっこいい」と見とれてしまいただの観客になってしまった(ファンなので)。結局、二位の斉藤さんと三秒差の優勝。いままで、信州で勝ったことがなかったのでほんとにうれしかった。三秒差という結果もよかった。「1kmで一秒差」 これはマルコパンタ-ニがダブルツールをする前に気にしていた数字で、「タイムトライアルが50kmあるとトップから一分近くは遅れてしまう。毎回のTTの差を山岳で逆転するのは難しい」と言っていたのを思い出した。信州の数秒差は一瞬で消えるとしても明日はリーダー。気合いが入った。

<第一ステージ>

この日の作戦は「位山峠までに人数をひと桁に減らす」「白石を下りで置いていって平地を独走させ消耗させる」

登りのスピードでは白石にかなわないのを春に思い知らされているのでなんとか彼の弱点を突きたい。そう思って信州まで練習してきた。阿部さんには作戦もなにもなく離れないように全力でしがみつくだけ。ただ、阿部さんが船山未経験なのを考えるとなんとかして二人で船山に入って小さなチャンスにかけるしかないと思っていた。(うわさで阿部さんがアームストロングみたいに残り3kmくらいでスーパーアタックすると聴いていた)スタート後、予想通りの速いペースに遅れる。身体が動くまでにいつも時間がかかりレースではローラーなどでウォーミングアップするのだが、信州は朝が早くてなにもできなかった。「やばいぃ・・西村のばかやろうぅ」なんとかして前へ上がっていったら、白石、阿部さんが先行していた。地蔵峠ピークで30秒差くらい。「やばいな」と思って下ったら、すぐに二人に追い付いた。今日は下りが調子良いみたいだ(僕には良いときと悪いときがあります)。阿部さん、平井、白石、そして春ちゃんの5人の集団が出来上がった。(サイクリング部同回生の春ちゃんがいたのがなんかうれしかった)最初で願いかなったりの集団。みんなの様子をうかがうと平井、春原はしんどそう。阿部さんと白石マークに集中できそうだ。長峰峠のピークでスプリントを駆けて、一気に下りで先行。阿部さんだけついて来ていた。後ろをみると平井と春原の二人が来ていて、白石はさらにうしろみたい。平井、春原が追い付くのを確認してから、先頭にでてスピードを上げた。この4人のローテーションと独走ではいくら白石でも疲れがたまるはずだ。10km強進んで、この作戦が最後に効けばいいなと思っていたら、鈴蘭手前の長いトンネルで追い付いてきた白石は鈴蘭の登りに入った途端にアタックしてきた。「さすが白石。元気だなぁ」アタックに応酬したかったが我慢して、雨で身体が冷えないほどのペースで見守った。(アタックは船山のラスト3kmまで我慢)鈴蘭のピークまでに吸収できたので、スプリントをして下りでペースを上げた。阿部さんと平井の三人でチェックポイントに到着。後の二人が来てからすぐに出発した。この時くらいから雨対策がうまく行かず上半身が冷え始めてしまい辛かった。今思えば、もう少し平地でスピードを上げておけばよかった。位山に入ると思っていた通りからだが冷えて重い。前から位山峠がなぜか嫌いなタイプだったのでダブルパンチを喰らう。春ちゃんがちぎれていき、白石がアタックしていたときがこの日で一番しんどかった。白石先行中、阿部さんの後ろで身体が温まってきたと思って安心してたら、強烈なアタックをされてしまい置いていかれてしまった。ピークで一分ならなんとかなると思ってイーブンペースで走っていたら二分も開いていて、正直ショックだった。三位争いするために前半押さえていたわけではなかったのでかなり焦った。焦りのため位山の下りの工事区間でコースアウトしてしまい集中力を欠きそうになったが、先行している三人も辛いはずだと言いきかせて残りの下りで踏みまくった。そうしていると道を失っていた平井、白石と合流し、阿部さんを追うことになった。この時、二分差強。船山に入ってからは自分が先頭を引いて自分のペースに白石を引き込む。白石は後ろについて走るのをこよなく嫌う。なんとか集中力を削ぎ落としたかった。平井は脚を何度もつって止まっては追い付いてくる根性をみせていた。さすがだ。負けじと自分は船山残り7kmを走りきれるギリギリのペースを維持していった。白石と二重らせんのような蛇行で主導権争いをして、残り3kmの簡易舗装区間に突入。この簡易舗装の前に、白石がもう終わりだと思って声をかけてきたので(みんなメーターが止まっていた)、「あと4km弱ちゃう?」と言ったら顔に「まじで!」と書いてあった(白石は正直な奴です)。ここで先行した。残りの激坂は一車体分を抜くだけでも大変なのと、すこしでも楽なルートを取るために。あとは白石が諦めるのを待つだけ。「我慢、ガマン・・・」残り1.5kmくらいのところで「アッ!!・・・」断末魔の叫びを聴いて30秒してから振り向いて白石が遅れたのを確認した。そこから独走が続くが白石が遅れたことでほっとしてしまい自分もペースが落ちてしまった。もしも二人でゴールまでいっていたら、阿部さんとの差を三分以内にできただろう。リーダー陥落。「たられば」といった結果論を言ってもどうしようもないのだが、位山でついていきたかった。あそこで動ける力がなかった。

<第二ステージ>

自分の回復力の無さは筋金入り。朝もめっちゃ弱い。信州や北海道で痛感している。最初に息が上がるようなインターバルレースが苦手でポイントレースはもっての他である。これらのことは昨年の信州を反省して特に感じた。昨年は、信州前の個人ロードで小嶋洋介(信州3連覇のセクハラインカレチャンプ)に10秒差で勝ったことから自分が山に強くなったと勘違いしてしまっていた。自分が山が速いはずがない。通学の際の大阪京都間の平地しか練習していないのだ。去年の信州はしょぼすぎた。リザルトを見たひともそう思うはず。昨年は全ステージ最初に本気アタックをして、後半たれまくっていた。今年は絶対アタック病にならずに前半を押さえると決めて信州に乗り込んだ。フランスでの走り込みも自信になった。今日の平湯もアタック我慢のはずだったが・・・斉藤さんが4分くらい逃げているときにウズウズしてちょっと飛び出したら、ずっと先頭を引いていた阿部さんに簡単にチェックされてしまう。そのとき西村と高橋が前にいたので「このままだと阿部さんのウォームアップにしかならんなぁ」と西村と苦笑いして高橋と細川に「行っちゃうのなら行って」とこそっと話して中切れした。そのあとすかさず阿部さんがチェックしたが、もう一回西村がアタック。これは切れ味抜群でグングンと離れ消えていった。「アタックってかっこいいなぁ」と見送った。一回スピードを上げただけで息がきれてしまったので、残りの平湯はおとなしくしておこう。分岐から本格的に傾斜がきつくなったところで白石がアタック。それでもいつものようにすぐに差が開かないので、調子悪いのかなぁと思っていた。阿部さんが白石を追ってペースアップ。細川や高橋がついていったが、残り1kmしかなかったので心拍一定を維持してピークまで粘った。下りは昨日と同様に調子がいい。すぐに阿部さんまで追いつけた(三位集団先頭)。そこからの阿部さんの気迫がすごかった。昨日より下りが速い。クルマをスイスイ抜いて一気に西村が見えるところまで来てしまった。チェックポイントは5秒も止まらず行ってしまったので、もがいてやっとのことついていけた。昨日よりも本気だと思ったのと同時に、自分の調子の悪さを痛感した。なによりも頭がぼーっとして貧血気味だった。判断力もなくなった。(あとでビデオで観たら朝からずっと顔色が真っ白だった)こうなると復活するまで納豆戦法しかない。あとでなんと言われようとも阿部さんの後ろから離れなかった。引く力がなくてくっつくのが常にやっとだった。「みんなに気付かれませんように・・・」そう思いながら、阿部さんのスプロケだけに集中する。「もうダメだ」とあきらめようとしていたら、温泉街に山本さんの御両親がいらっしゃって応援して下さった。ビックリしたし、鳥肌がたった。「あきめたらだめだ、ガンバらなあかん」なんとか食い付いくことができて、阿部さんと二人で乗鞍に乗り込むことになった。前に東大の山形くんが見える状態が続いた。このとき、すでに前半から貧血だったために早めに補給食を食べまくってしまい、残りは胡麻のおはぎだけだった。山形くんをパスしてからまた頭に血がいってないなぁと思っておはぎを口にしたがもう遅かった。空腹感が襲い、脱力感が全身を覆った。「ヤバい、なんかサポートからもらおう」そう思っていたら、白石が視界に飛び込んできて爆走していった。焦ってすっかりコーラをもらうのを忘れてしまい、なおかつ、阿部さんからもなんでもないところで遅れてしまった。もうその時は判断力もなく絶望しているだけで壇上さんや近藤さんに応援してもらっても何も言えずうなづくことしかできなかった。残り5kmでコーラのを壇上さんが走って渡してくださったおかげで身体の痺れがとれて「最後までなんとか!」と思った時には先行するふたりが霧の遠く向こうにいるのが見えた。先頭から7分遅れでゴールした。

<第三ステージ>

信州や北海道では三日目に疲れのピークがきていた。特に最初の二時間はまったくもって身体が動かない。去年の北海道第三ステージではまっ先にリタイヤになった(救済処置があり翌日からも走れたが)。信州でもかなり後ろで最初の峠をパスしていた。今日も多分やばいだろう。そう思ってアップをしっかりやったが、スタート後、周りの選手に「どうしたの?」と言われながら、どんどんと抜かされていった。「あきらめさえしなければ立てなおせるはず」と言い聞かせるしかなかった。前半のペースが速かったためか前からボロボロと落ちてくる人たちをパスして、急成長中の高橋とともに武石峠を越えた。先頭から一分半。下りで追いつけるかもしれない。雨が降り、路面は滑る。それでもここ一番の集中力でカーブミラーを見てはもがきまくった。30秒前の斉藤さんに追い付きパス。「あと一分。事故だけはできない。集中しろ」前に阿部さんと白石が見えたときは嬉しかった。もう今日は会えない可能性があった。それだけ脚が重かった。「でも、ここからが自分にとってほんとのスタートだ。もう身体が動くはず」そう思っていられたのは一瞬だった。阿部さんが視界から消えた。宣言通りの本気アタックだった。自分は復調した。美ヶ原の上りはいままでで一番楽だったし良いペースだったはず。でも、差は開く一方だった。阿部さんでも垂れるかもしれない。そう思っていたが、その後の白石との連係がうまくいかず集中力を欠いてしまう。白石は確かに速い。でも、効率の良いローテーションやペースを知らない。集団での練習をしないからだろう。かなりいらだった。上りで頑張るだけでは厳しい。下りや平地もコンスタントに維持しなくてはいけない。いくら阿部さんでも独り対二人なら差を詰めれるし、麦草のふもとまでで追いつけると確信があった。「白石は本当に追い付く気があるのか?」とも思った。でも、「こんなんじゃあかん」と思うよりも先に気持ちが切れた。トイレのために脚を止めた。戦線離脱。チェックポイントのあとは頑張ろうとも考えたが運も悪かった。クルマが急停車したり、渋滞で動けなくなったりした。「もう今日はダメだ」と覇気もなくなり麦草が終わることだけ考えて走った。「うしろから高橋が来ている」と井上さんから聴く。あとにも先にもこの信州で後ろとのタイムを本気で気にしたのはこの時だけ。それまでサイクリングしてたのを切り替えて、逃げることだけ考えてもがいた。先頭でもないのに消極的な考えだ。嫌になりながらも脚があまっていたので、ラスト4kmのペースを上げた。「最初からこの走りをしろよ」自分が情けなかった。阿部さんから12分以上も遅れた。

<第4ステージ>

最後の最後。来年参加できても今以上の走りができる可能性は低い。昨日までを反省して、「つくだけ」「追うだけ」の走りはしたくない。スタート後、4人が逃げた。後輩の細川と高橋が入っている。これからも頑張ってほしい二人だ。最初の山を取ってガンガン逃げて自信をつけてインカレに望んで欲しい。大集団の先頭を引くことにした。白石が前に出てきても覆いかぶせてペースを一定にした。松村さんも飛び出していった。チェックはしない。「行け-、松村さん!」しかし、町田さんを除く4人はペースが落ちてしまい、すぐにでも捕まる位置を走っていた。「高橋、根性みせろよ」しかし、ラスト500mのところで阿部さんと白石の山岳争いが発生し、先行する町田さん以外は僕らの集団につかまり、そして落ちていった。信州峠に向かう集団は白石、阿部さん、町田さん、斉藤さん、平井の6人。先頭を引いてひとりづづ落としていこうと考えていたら、阿部さんが平地でアタックした。すかさずチェック。そしたら残りは反応していなくて二人になった。「しめた。ここから一気にいって、白石との12分をひっくり返してやる」阿部さんは本気だった。呼吸が乱れていた。行くしかない。信州峠をパスし、瑞がき山荘への上りに入った。腰が痛い。踏めない。阿部さんに付くのがやっとになる。でも、もううしろにつくのは嫌なのでできる限り前へとでた。完全に息を上げて使い切ってから切れた。呼吸を整えられたところで白石が後ろから来た。その後、平井もやってきた。調子がよさそうだ。自分はもう力が入らない。「もう追い付かないやろ」と白石があきらめた様に言ったので、先頭にでてスピードを上げれるだけ上げて切れた。このあと追い付くために下りを攻めることもしなかった。大弛峠で使い切って終える。今日は登りで追い付く走りがしたい。先行する3人は合流したらしい。しゃべりながら走っているらしい。「目にもの見せてやるぅ」と思い、ラスト18kmほどからイッパイいっぱいのペースで行く。5分近く開いていた差が一分台になった。見えるところまでいきたい。しかし、追っている情報が前に伝われば、スピードを上げるに違いない。そこからが勝負と思って、高い心拍を維持できるようにメーターをずっと見ていた。しかし、差が二分、三分とどんどんと開いていった。「誰かがパンクするかもしれない」そう言い聞かせることしかできなかった。そこで、坂バカの方がいたのが励みになった。たらたら登っていてはかっこつかない。視界から消えるまでだけでも速度を維持しなきゃ。あっという間に大弛は終わった。区間4位。総合三位で5回目の信州を終えた。

<レースを終えて>

やれることはできたし、次につながる走りができた。(ピリピリし過ぎたのは反省・・)「明日からも自転車に乗りたい」楽しく充実した5日間を過ごすことができました。年々レベルが増す信州。サポートも類をみない充実度。自分も一緒に成長してきた(かな)。第一回はいつもビリだった。最終のクルマのプレッシャーと膝痛との闘いだった。それから4年。区間では勝てなかったけどリーダージャージに袖を通せたし、憧れの阿部さんとも一緒に走れるレベルに近づいた。いろいろとステップアップしたんだなぁと感慨深い。このお盆の時期のお祭りはどうなっていくのだろうか?阿部さんのようなスターが登場した5回目。今後、次世代のスター登場の場となっていったり、日本のビックレースに化ける可能性もある(日本縦断くらいになったら面白いなぁ)。「おもしろいのに関わっているんだ」そんな感じでみんなに言えるものがあるっていいですネ。来年はどうなるのでしょう?

スタッフのみなさん、参加選手のみなさん、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。楽しかったです。(矢澤真幸)